カウチサーフィンで国際&異文化交流を子育てにがっちり活かすブログ

英語が大してできない大阪のおかんが、リアル国際&異文化交流体験を体当たりで発信しています。

運動会の行進から垣間見える日本の刷り込み教育について


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こんにちは、学童おかんになりたい、あやみです。

 

9月に入り世間は運動会、体育祭シーズンですね。私の3歳の息子が通う保育園でも毎日行進やダンスの練習をしていると、連絡ノートに書かれていて、運動会の準備が行われているんだなという様子を感じることができます。

 

子どもの頃から当たり前にあった、運動会。毎年少しずつ出来ることが多くなった息子の成長を見れる機会として楽しみにしていますが、ふと行進などであそこまで、きっちり合わせる必要があるのか、と疑問が湧いてきました。

 

オリンピックの入場行進ですら、選手の方は歩いてはいるもの観衆に手を振ったり、ニコニコ笑いながら歩いていて、行進のようには歩いていません。そもそもあの入場行進は軍隊の行進の模倣であって、軍隊でもない一般の人が、ましてや保育園児や小学生がやるというのはおかしいのではないでしょうか?という疑問です。

 

そう疑問が湧いたきっかけが、保育園での先生方の園児に対する指導を見ていて、少しでもズレた動きをする園児に、「そうじゃない!違う!」と叱っている様子を見てしまったからです。

 

こんな小さなうちから大人から叱られ、きっちり合わすことを強制されている。意味もわからず、周りと合わせることを刷り込まれている。

 

知らず知らずのうちに、周囲と合わせることが当然で、それができないとダメだという価値観が刷り込まれ、合わせられない人を受け入れられなくなっていく。。。日本人的な偏ったアイデンティティーが、保育園や幼稚園という閉ざされた環境で、教育というよりかは、調教されている、と感じてしまったのです。

 

そりゃあ、個性のある子、自分を周りに合わせることが苦手な人は生きづらいわぁ、とも思いました。

 

今でこそ自分はいろんな人がいて当然だし、周りと違うことは当然だと思うようになりましたが、思い起こせば小学生の頃はそんなことを思いもしませんでした。先生の言うことは絶対だし、ちょっとでも違うことをしてはいけないと思っていました。ちょっとでも違うことをして、怒られているクラスメイトを見て、「先生の言うことを聞かないから叱られるのよ。バカなことしてるわね」と思っていたくらいです。

 

その叱られているクラスメイトは、そんなにやってはいけないことをしたんだろうか?運動会の行進でちょっと手を振れていない事は、そんなに悪いことなのか?周りから後ろ指差されるぐらい悪いことなのか?

 

考えれば考えるほど辛くなってきました。私が小学生の頃に感じた、この同一性を重んじる価値観は、アラフォーになった今、ようやくおかしいと感じるようになりました。子どもの頃に刷り込まれた記憶を塗り替えることは、とても時間がかかります。

 

子どもが日本という国で生きていくには、大事なスキルかもしれませんが1歩日本から離れた時には、ネガティブなスキルになりかねません。

 

願わくば、そういった同調圧力にもそんなもんだと受けることができ、一方で1人ひとり違って当然だという、多様性を受け入れられるような、マルチな子どもに育ってほしいと思います。きっとそれは日本でしか培われない特別なスキルになると思うので。

 

#保育園 #運動会 #3歳 #多様性 #個性