カウチサーフィンで国際&異文化交流を子育てにがっちり活かすブログ

英語が大してできない大阪のおかんが、リアル国際&異文化交流体験を体当たりで発信しています。

人権軽視と性教育をしない日本社会の密接な関係

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 4月は内閣府男女共同参画局が推進している、「AV出演強要」・「JKビジネス」等被害防止月間です。

若年層を対象とした性的な暴力の啓発 - 内閣府男女共同参画局

 

街でスカウトされて、『読モにならない?』・・・撮影場所に連れていかれると服を脱げと言われた。
時給のいい簡単なバイトだと思ったら・・・添い寝や性行為を強要された。

こういった甘い言葉や、誰でもできる、時給のいいバイトといったお金をチラつかせた甘い罠。
被害者の多くは女性や子どもで、「No!」と言えない状況に追い込むのは悪意のある大人。

これはおかしい!と気づくにも、軽視され続けて鈍感になっている人権意識の低い状態では気づくことが遅くなり、気づいた時には被害者になっているのでは?と切実に心配しています。

人権軽視と性教育 という言葉を聞いて、もしあなたがこの2つの意味が全く関係ないことに見えているとすれば、少なからずあなたは鈍感、または不感症になっていると私は思います。

人権も性教育も、根本は他者理解、相手の立場に立って考える。相手を尊重する、そういった視点が根底にあり、それが無視される、軽視される、なんなら無理やり自分の意志ではないことを強要されるというのは、あってはならないことなのに、多くの学校(学校に限らず、大人が支配する場所)ではそれが平然と行われているのです。

でもそれは当然のこと。だって、日本の教育でこの2つが重要視されたことなんてないし、逆に軽視し続けることが、政府に都合の良い人間に育てることにつながり、同調性、同一性を極端に重要視する政府が理想とする社会になりました。

道徳の授業で答えが決まっていたり、いじめの隠蔽、校則は規律の名の元に、生徒を信用せずガチガチ縛って上から押さえつける。性被害にあっても、自己責任で処理され、「そんな格好をしているから悪い」と加害者を擁護。

 

こんなことが公然と許され、変だと思っていてもそういうもんだと受け入れるしかない、声を出せば叩かれる。そういう世界に生きていることを正しく知って、どう子どもたちに伝えていくかを考えています。

 

なぜ日本の教育は遅れているのか


日本の教育が遅れているのはなんとなく感じている方が多いとは思いますが、具体的になにがどう遅れているのか自分なりの答えを持っている方は少ないのではないでしょうか。

私なりの答えをご紹介すると、ズバリそれは人権教育の遅れです。人権は目に見えないし、数値でも測ることも、相対的に自分の位置を知ることもできない。だからこそ、軽視され続け、遅れに遅れていても誰も気づかないし、問題としても捉えにくい。

表面化していなくても、社会に与えている影響は大きく、日本社会における様々な問題は人権軽視の視点から見ればほとんどのことが説明できてしまいます。

例えば、冒頭の「JKビジネス」といった女性や子どもを狙った問題、虐待、DV、低い投票率、痴漢、いじめ、引きこもり、不登校、低い出生率、シングルマザーの貧困、子どもの貧困、ジェンダーギャップ などなど 挙げたらきりがありません。

私個人的の意見ですが、日本では特に子どもと女性に対する人権がより軽視されていると感じています。(子どもを持つ親だからそう感じてしまう感はありますが)

その中でも、今回ご紹介している「JKビジネス」「AV出演強要」について関わる日本においての司法基準をご紹介します。

 

低すぎる性行為同意年齢

www3.nhk.or.jp


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日本においての性行為同意年齢は、欧米諸国が16歳以上と年齢の引き上げがされている中、未だに13歳と、とても低い年齢となっています。
この年齢が低いことがどう問題になるかと言うと、13歳になれば、同意の上の行為としてみなされ、被害を訴えるには本人の証言だけでは足らず、騙されたこと・強要されたことなどを立証しないと、相手を有罪にできないということです。

これってとんでもないことだと思いませんか?法的には13歳は大人とほぼ同じとみなされ、被害にあっても相手を有罪にできる決定的な証拠が見つからなければ、泣き寝入りするしかない。というのが日本の司法が定める基準だということです。

これだけ子どもに対して責任を負わせているにも関わらず、「No!」が言える教育を大人はしたのでしょうか?
この司法基準から言えることは、子どもの人権を軽視しているからこそ問題に対しての対応が遅れているともいえます。

 

あなたの大事な子どもが被害者(加害者)にならたい為に


子どもだから必要ない、学校が教えてくれているから大丈夫と、性教育や性犯罪について家庭での会話を避けていませんか?
性教育に早すぎるなんてことはないです。逆に子どもが小さいほど、親との距離も近く、思春期になってある程度分かってきている頃に話すより断然話しやすいのではないでしょうか。

家庭だから、親子だからこそ話せることがあります。

大事な子どもの為に、是非学校(他人)任せにぜず、ご家庭でも性教育や性被害について子どもと一緒に考えて欲しいと思います。

 

性教育に関しての書籍とブログ

 

note.com

 

おかんと学校 ~あえてアナログを大事にしたい~

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新型コロナウィルスの影響で突如休校となった小中高校生向けのオンライン教材やサービス、ダウンロードして使えるクラフトなど様々な教育コンテンツが無料で公開されています。こんなにも沢山のコンテンツがあったんだと知る機会になり、ありがたいなぁと思う反面。「だから大丈夫ってのは危険、学びの場を社会は提供しているということにはならないんよねー」と悪態をついてしまう。


色んな意見があると思うので、ひとつの意見として捉えて貰えたら嬉しいです。私がそう思う理由は、オンライン教材は「小学校低学年の子どもがいる家庭には活用しにくい」と思うからです。


例としてクラフトの教材をこの年代にやってもらおうとした場合で考えてみたいと思います。


まず、オンラインでの教材は、

①小学校低学年には保護者や大人の管理下でないとちゃんとした学びにはならない。

そして、

②同じくらいの年代がグループになってやれればいいけれど、そうでなければ学習効果は半減しちゃうんじゃない?と感じています。


この①の管理下というのはほぼ付きっきりの状態を指します。
「プリントしたからやってみなさい」では子どもは何をどうしたらいいのか分からない。かといって、学校の先生であればどの程度口を出して、どの程度フォローをすればいいというのは分かるかもしれませんが、保護者と子どもが付きっきりで取り組むと口出しも多くなってしまいます。これはクラフトに限らず、算数や国語のワークについてもそうかもしれませんね。


②の同じ年代のグループでなければ学習効果が半減する というのも、こと低学年は実際に周りの人がどうやっているのか、見て覚える、工夫しているところを真似る。といったことが必要だと思っていて、これは大人がチョキチョキあらかじめ切ったものを渡したり、カッターは危険だからとある程度難しいところをお膳立てしてしまうと、まだその道具を上手く使えない年代の子どもにとっては魔法を見ているようなもので、「自分にはできない」なんて思わないかしら?

 

また、どの程度のものが完成度の基準か、そして難易度がどのくらいかを普段からそういったことをしていない限り、とても掴みにくい。大人は綺麗に作ったり、形にしようとしがちですし、このくらいならできるだろうと難易度の高いものを渡しがちですから、子どもたちの基準や状況と合わない。


そんなこんだで、同年代との交流を絶たれた状態で1人でやる学習はとても環境的に難しいと思うわけです。結局学校以外に子どもが学習に専念できる環境は少なく、ましてや簡単には作れないということだと思います。


そう考えると、小学校低学年にとっては他の年代より「学校」という場がいかに、大切かということを考えなければいけないと思います。


学ぶ場を失った子どもたち。そうしてしまった政府や大人たちは責任を感じて次に生かしたいですね。(自戒を込めて)


こと未就学児、小学校低学年の年代について思うことは、オンラインやバーチャル世界での学習に頼りすぎない。ということを大切にしたいと思っています。


「これさえやっときゃOK」ということなんてない。どんな教材にも、メリットがありデメリットがあるんだと疑いの目も必要だと思います。


~余談~
私の友人が自宅でお友達のお子さんを数人預かっているというFacebook投稿を見ました。
即席で作るとすれば、この方法が一番学習環境としては理想的だと思いました。兄弟が多いご家庭もいいですよね!こういうコミュニティを身近に作っていきたい!是非寝屋川市のママさん、繋がってください!

公式ラインやってます→https://lin.ee/o24fN99


また、オンライン上で繋がって対話的な学びコンテンツを提供するという取り組みをされているサイトもありますのでご紹介します。


カタリバオンライン
https://note.com/kataribaonline/n/n3d78c5d8fac8

 

おかんと学校 ~多様性~

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昨年から寝屋川市枚方市で活動しているフリースクールみんなでつくる学校とれぶりんか』という団体のボランティアとしてコンサートの運営やクラウドファンディングのお手伝いをしています。


とれぶりんかは市民団体ですが、活動に対して数々の受賞歴があり、SDGsという言葉がなかった16年前から、障害がある人やない人、引きこもり、不登校の学生、若者世代、ママ・パパ世代、シニア世代といった様々な世代、様々な立場の方々と共に活動してきました。活動内容も多岐に渡り、子ども食堂やコンサート、演劇などなど、みんなそれぞれの得意分野や好きなことを見つけ、活動の幅を広げている団体です。


私がこの活動をお手伝いしている理由は、当たり前と思っている学校社会や普段の生活は、多様性を極力排除した特殊な環境で、未来を生きる子どもたちが育つ環境としては、経験や体験が足りないし、いろんな世界があることを子どもたちに体験して欲しいという思いがあるからです。


あるベストセラー作家が「嫌い」と「知らない」はとても近い位置にいる。と表現していました。これはとても分かりやすくて、人は、知らないことがあると嫌っているような反応をしてしまい、その情報を避けて生きるようになります。


『学校は必要なことを全て教えてくれる』わけではありません。道徳や人権、性教育といった一般教養は日本では全く重要視されませんが、欧米諸国ではとても大事にされています。『自分で考えて自分の意見を持ち、自分の言葉で発信できる』ということを教育の中でも求められ、訓練し、それが必要だと認識しているからです。


『自分の意見を言う』という力は残念ながら今の日本の公教育では身につけられない。という事実を受け止め、そうであればどうすればいいか?を考えたいと思います。これは、システムの問題で、現場の問題ではないので、いくらアクティブラーニングや、プログラミング教育を取り入れても、根本のマインドを変えていけるような改革がされていない以上、変化しにくい。今、子育て中の世代は、少しずつしか変わらない変化を待ってられないのです。


写真は男と女という性以外があるということを真正面から題材にした少女漫画
IS ~男でも女でもない性~

学び続けるって大学や学校に限ったことではない

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去年からキングコング西野亮廣さんのvoicyを愛聴しています。
全て無料でほぼ毎日更新されています。時間も10分くらい。
YouTubeみたいにバックグラウンド再生にすると止まらないところもまたよくて、毎朝洗濯物を干しながら聞いています。

そこで、少し前に紹介されていたことをご紹介します。

西野亮廣「僕らは『24歳で勉強を辞めてしまう国』に住んでいる」
https://voicy.jp/channel/941/71961

『日本の成人の「生涯学習」率は先進国で最低』
https://www.newsweekjapan.jp/amp/stories/world/2015/08/post-3823.php

Voicy の中では「必ずしも大学機関で勉強している人だけを指しているわけではない」とありましたが、傾向としては確かにそうで、
例えば日本での成人の読書量とか、そういった数値にも現れています。
(読書=勉強ではないものの、なにか探究するには読書は欠かせないので。)

確かなソースはないものの、体感として図書館を利用する年代や混み具合といった感じからまぁそう言われればそうなんだろうなと思います。

「日本人の読書量や読書時間が少ない」としてよく使われるソース(世界との比較)
https://bvb-arigato.com/source-links-frequency-of-reading-books/

『本なんて読んでる時間ないよ!』『今どき、本じゃなくても勉強できるよ!』『仕事で必要な知識を得るために資格勉強してる、資格も取った』というご意見もあるでしょうけど、一定数『学ぶことに興味が無い』『社会人になれば学ばなくてもいい』という方もいるのも確か。

勉強したくないから働く。勉強できないから働く。という進路を選ぶ学生が多いのも、きっと周りにいる大人があまり勉強していないから、そう思うのでは?と勘ぐってしまいます。

現実的には学ばなくても会社が教育してくれていた時代も終わり、学ぶ姿勢がない人はどんどん社会から、いや世界から取り残されてしまいます。それは結果的に収入や幸福度に直結しています。

近くにいる大人が子どもや学生にどう映っているのか?子どもの 1番近くにいる家族であるあなたはどうですか?漫画も読書だし、家事効率を上げるためにいろいろチャレンジすることも勉強だと思います。何か新しい知識を学ぶ姿勢があれば発見も出会いも増えると思います。

西野さんのVoicy めっちゃオススメです。

#Voicy #西野亮廣 #オンラインサロン

『今』を映すシニア世代


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こんにちは、異文化交流を子育てにがっちりいかす、大阪おかんのあやみです。

今日は私が所属している、大阪友の会の京阪方面のセールがありました。写真は、セールで販売していた子ども向けのおままごとセットです。一つ一つが手作りで、見れば見るほど手の込んだ作りで、丁寧に作られている様子が伺えます。

 

友愛セールという名前で年に2回、6月頃と12月頃に行われています。

来場者は98%がシニア世代といった感じ。

 

セール会場には開場の直前には、約80名のシニアの方が今か今かと待っていらっしゃって、すごい熱気なんです。

 

開場と同時に、特にお菓子関係のブースは長蛇の列になり、皆さん、お目当ての手作りお菓子や布製品、共同購入の乾物などを買い求めていらっしゃいました。


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シニア世代の勢いというか元気さには本当に驚くばかりです。

私は、この状態は本当に今の日本の縮図だと思っています。

自治体が運営するコミュニティセンターや市民サークルが使える施設は、いつもシニアの方でいっぱいです。

チラシやその日の催しの案内を見ても、シニア世代向けの囲碁やお料理教室などのイベントでいっぱい。

コミュニティセンターでは民謡を歌う声が聞こえ、図書館の閲覧コーナーはおじいさん達が、その日の朝刊をめくりながら、ほとんどの席を埋め尽くしています。

お祭りとなればシニアの方が、準備から当日の運営など全てにおいて主力として動いてらっしゃいます。

 

シニアの人口が多いとか、働いていないからそういったコミュニティセンターにいらっしゃるとか、そういう問題ではなく、自治体や行政のイベントのボランティアや、市民活動の中心を担っているのがシニアだということです。

 

何をするにもシニアの力が欠かせないし、コミュニティーとして確立しているのもシニアであれば、その場を利用したり、活用しているのもシニア。イベントを企画するのもシニアであれば、実際に参加するのもシニア。

 

こんなにも元気なシニアを見ていると、こういった状態がいつまでも続くのではないかと錯覚してしまうくらいです。

 

でも、そんなわけはないのです。

これから10年15年の間に、今は元気で活動しているシニアたちがどんどん活動できなくなっていきます。

私は、そんなこれからどんな世の中になるかなんて、全く考えたことなかったのですが、1人の友の会の会員の方が言った一言が私に現実を教えてくれました。

 

それは友の会の会員の方のお家で月に1回開かれる最寄り会という会に参加した時のことです。

 

その日は落ち着きのない2歳児を連れて参加していたのですが、テレビ台の前に干支の置き物が置いてあり、その置物が陶器で出来ていたので、割れては大変と気をつけていたところ80代の会員の方が一言、仰ったんです。

 

『割れてもいいのよ。その年の干支が終わったらどうせ捨ててしまうのだから。だって、次の干支がめぐってくることなんてないから。』

 

この言葉を聞いた時、えもいわれぬ、寂しい気持ちになりました。12年後はさすがに遠くてどうなってるかは分からないけれども、でも自分がこの世にいなくなってるなんて考えたことない。でも、この方は12年後は自分はもうこの世にいないということを日々感じながら生きてるんだな。と。

 

悲しいとか辛いとかそういうことではなく、それが現実なんだ。

 

これからの15年で四国と九州の人口がいなくなる。

それは、紛れもない事実であり、変わることのない未来です。

 

lite.blogos.com

 

今、目の前にいる、アクティブなシニア達が15年後に同じ活動をしているわけはありません。それどころか、要介護2以上の介護が必要になっている人が殆どでしょう。

 

市の施設を埋め尽くす、市民活動のほとんどが、平均年齢70以上のシニアの団体です。子ども食堂も、市がやっている絵本の読み聞かせや赤ちゃんイベントのボランティア、餅つき大会に、季節のお祭り、防犯の見廻り、小学生の登校時の旗もちボランティアなど、みーんな影では、自治会や市民団体が母体となった、ボランティア部隊が活動しているのがほとんどです。

 

市民活動=社会インフラ

 

10年後の社会インフラを支えているのは一体誰なんだろう?

 

 

 

夢を語ろう

 

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こんにちは、異文化交流をがっちり子育てに活かす大阪おかんのあやみです。

写真は息子が1歳の時にトラクターを初めて見た時の写真です。なんか、大きな物に向かっていく感じが好きで載せました。

 

10月からあれよあれよと月日は流れ気づいたら12月になっていました。

友人、知人の主催するイベントのお手伝いや参加、これからあるイベントの準備などに追われている毎日ですが、イベントを仕掛けている人は、皆さん本当にアクティブで、夢や希望に満ち溢れていて、いつもキラキラしています。

 

みなさん、会社員をしながらのダブルワーク、トリプルワークを軽やかにこなし、忙しく多分きっとヘロヘロになりながらも、これからの自己実現に向けての行動を怠らない。

そんな方々と少しでも同じ空気を吸っていると、自分も何かできるのではないかと変な錯覚をしてしまうくらいです。

 

実際何か出来るんちゃうかと勘違いしてしまいそうになります。

(勘違いというのは、少し動いたらすぐ分かっちゃうんですけど💦)

 

皆さん何かをするというエネルギーだけではなく、周囲への方への配慮や、フォローが半端なく丁寧でびっくりします。

 

どれだけITやクラウドワークが当たり前だったとしても、人と人が直接会って同じ場所で何かするっていうのは、次元が違ってオンラインではどうしても埋められない差があり、全然違うエネルギーを発しているんだな、と思いました。

 

だからこそ、実際に会った人へのフォローは重要だし、特別なのだと思います。

 

さて、タイトルの『夢を語る』について、同じ空気感というか、そういう環境ってすごく大事だと思うんです。

いくら夢を持っていたとしても、それを語る場所がなかったり、語ったとしても全く反応がなかったり、お誘いしても興味がないから、余裕がないから、と断られたり。

断られることで、めげてるようじゃダメなんですけど、でもそれは自分がやりたいことをちゃんと肯定してくれる、応援してくれる人がいると思えるから、例え自分の思いが受け入れられなかったり、断られたとしても耐えられるんです。

 

11月16日に大阪で開催された、GOTO2025という、2025年の万博に向けてのカウントダウンイベントに参加した時に、知り合った方の、SDGsに関するイベントをご紹介しまーす。

 

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何か新しいことを始めるって、何も会社を作ったり、お店を構えたりすることだけじゃない。自分があったらいいなぁ、こんな環境が欲しいなという、普段自分がやっていることを自分以外の人が楽しめるのであれば、もうそれは事業なのではないかな。大袈裟かもしれないけど。

 

私は他人を巻き込めたら、もう形は出来つつあるんだと思います。そこまで到達していないことは、ただの妄想です。(私はココ)

 

でも、妄想できるようになっただけでも進歩だと思います。

それは私の夢を聞いても『いいね、それ、きっと需要あるよ。』『絶対やるべきよ!』と肯定してくれた人がいるから。

 

だから、絶対絶対、夢を他人に語れて、受け入れてもらえる場所は必要なんです!

 

さぁ、みんなで夢を語ろう!

 

 

遊んでいるうちに興味を持つ!を実現するクラファン応援中

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こんにちは、異文化交流をがっちり子育てに活かす大阪おかんのあやみです。

今回は最近応援しているクラウドファンディングの企画についてご紹介します。
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このミュージカルは一般的な芸術鑑賞の枠にハマらない、ICT教育と英語とテクノロジー(AR拡張現実等)といった、最先端技術を駆使した体験型ミュージカル!さまざまな仕掛けがちりばめられていて、継続的に英語学習をしたくなるような構成になっているそうです。

私は最先端に飛びついているだけではなく、プログラミング教育にしろ、英語にしろ、ただ言語や使い方を学ぶだけでは意味はなく、その言語を使って、どう活かすか、何を実現するかまでがセットになっていないと、ただの詰め込み教育になってしまうと思っています。

だからこそ、体験を通した英語学習としてカウチサーフィンで外国人との交流を大事にしているわけだし、言語というよりかは、外国人が持つ日本にはない文化やバックグラウンドや違いをまずは学んで、そこから言語にも興味を持ってほしいと思っています。

2020年からの教育改革が目の前に控え、英語学習について、色んな書籍を読みました。
母国語の基礎ができていない幼少期から学ぶ多言語の弊害や、危険性などのデメリットも知った上で、子どもにとって良い環境は何なのかを悶々と考えています。

中途半端にやることは全てデメリットにしかならないので、インターナショナルスクールに通うわけでもない我が家の家庭環境でできることなんて限られます。
英語を楽しむ親しむという意味で、英語を含めた多言語にタッチするタイミングは増やしますが、本人がやりたい、話したいと言い出すまでは、こちらはひたすら辛抱強く待つべしを徹底して、とにかく楽しめる体験を子どもに提供したい!

このクラウドファンディングはそんな私の想いにピッタリの取り組みでした。
是非、こういった取り組みがもっと身近になって、色んなバリエーションが増えるといいなと思ってます!